「遺書 白い少女」 桜田淳子さん [桜田淳子 映画]
急遽、本日、予定していた記事を変更して、「遺書 白い少女」の桜田淳子さんです。
なるべく、たくさんの「白い少女」の淳子さんを紹介します。
「遺書 白い少女」は落合恵子さんの原作とした1976年、映画です。
当時、見に行きました。その時買ったパンフレットです。
監督の中村さんと原作の落合さんです。
このパンフレットは、最近でも手に入りますが、注意しなければいけないのは、付録として”ポスター縮刷版の美麗ピンアップ”がついていることが重要です。
”ポスター縮刷版の美麗ピンアップ”を紹介します。
この映画のストーリーについては、書きませんが、「白い少女」の淳子さん、きれいでいいのですが、
自分では、苦手な映画です。
理由が2つあります。何でしょうか?
・一つは、病気がテーマだからです。大の苦手映画です。山口百恵さんの「赤い疑惑」も苦手でした。
・もうひとつは、田中健さんとのラブシーンです。
ラブシーンがたくさんあるので、当時は、複雑な思いでした。
この「白い少女」は、1980年か1981年にも地上波で、放送されています。
下記が、当時(1980年か1981年)録画したビデオからです。
次に近代映画の「遺書 白い少女」の特集号です。
この映画では、この表紙の赤い水着が印象的です。
また、この赤い水着で、淳子さん、グラビアを飾りました。
近代映画の「遺書 白い少女」の特集号からです。
恒例の”さくらんぼ”コーナーから今回は、さくらんぼ16号からです。
レディになります。「白い少女」で大人の世界へとあります。
そして”Junkoのページ”で映画への思いを語っています。
最後に”追伸ー、映画見てね、、From淳ぺー”で締めています。
「遺書 白い少女」は、下記でも以前紹介しています。
遺書・白い少女
http://majun.blog.so-net.ne.jp/2010-05-28
”あの記事をもう一度”コーナーと題し
以前、紹介した中で、貴重なグッズを紹介します。
1976年の映画”遺書・白い少女”の主演記念の桜田淳子シネアルバムです。
このアルバムの中身で、以前紹介していない写真を紹介します。
淳子さんの手記です。
淳子さんのサインです。
最後に”1枚のポスター”コーナーでポスターを紹介します。
これは、近代映画の「遺書 白い少女」の特集号の付録ポスターです。
近代映画の「遺書 白い少女」の特集号を買う時は、このポスターがついているかがチェックポイントです。
今回、かなりの「白い少女」を紹介しましたが、まだ、紹介しきれない、「白い少女」に関する、雑誌、切り抜き、新聞記事がたくさんありますので、それは、またいつか紹介します。
あと、この映画と同時上映は、中村雅俊さんと五十嵐淳子さんの”凍河”でした。
また、「スプーン一杯の幸せ」の時は、中村雅俊さんと壇ふみさんの”想い出のかたすみに”でした。
P.S.
先日、麻丘めぐみさんと錦野 旦さんの番組があり、麻丘さんの言葉が印象的でした。
「当時人間扱いされていないことに腹立たしかった。いつか逃げ出そうと考えていた。自分は、”スカウト組”で、同じスカウト組の浅田美代子さんと南沙織さんと仲良く、美代ちゃんといつも逃げ出そうと思っていた。スター誕生出身の”オーディション組”はやる気があった。”スカウト組”はやる気がないと怒られていた。5年しか歌っていなかった。」
なるべく、たくさんの「白い少女」の淳子さんを紹介します。
「遺書 白い少女」は落合恵子さんの原作とした1976年、映画です。
当時、見に行きました。その時買ったパンフレットです。
監督の中村さんと原作の落合さんです。
このパンフレットは、最近でも手に入りますが、注意しなければいけないのは、付録として”ポスター縮刷版の美麗ピンアップ”がついていることが重要です。
”ポスター縮刷版の美麗ピンアップ”を紹介します。
この映画のストーリーについては、書きませんが、「白い少女」の淳子さん、きれいでいいのですが、
自分では、苦手な映画です。
理由が2つあります。何でしょうか?
・一つは、病気がテーマだからです。大の苦手映画です。山口百恵さんの「赤い疑惑」も苦手でした。
・もうひとつは、田中健さんとのラブシーンです。
ラブシーンがたくさんあるので、当時は、複雑な思いでした。
この「白い少女」は、1980年か1981年にも地上波で、放送されています。
下記が、当時(1980年か1981年)録画したビデオからです。
次に近代映画の「遺書 白い少女」の特集号です。
この映画では、この表紙の赤い水着が印象的です。
また、この赤い水着で、淳子さん、グラビアを飾りました。
近代映画の「遺書 白い少女」の特集号からです。
恒例の”さくらんぼ”コーナーから今回は、さくらんぼ16号からです。
レディになります。「白い少女」で大人の世界へとあります。
そして”Junkoのページ”で映画への思いを語っています。
最後に”追伸ー、映画見てね、、From淳ぺー”で締めています。
「遺書 白い少女」は、下記でも以前紹介しています。
遺書・白い少女
http://majun.blog.so-net.ne.jp/2010-05-28
”あの記事をもう一度”コーナーと題し
以前、紹介した中で、貴重なグッズを紹介します。
1976年の映画”遺書・白い少女”の主演記念の桜田淳子シネアルバムです。
このアルバムの中身で、以前紹介していない写真を紹介します。
淳子さんの手記です。
淳子さんのサインです。
最後に”1枚のポスター”コーナーでポスターを紹介します。
これは、近代映画の「遺書 白い少女」の特集号の付録ポスターです。
近代映画の「遺書 白い少女」の特集号を買う時は、このポスターがついているかがチェックポイントです。
今回、かなりの「白い少女」を紹介しましたが、まだ、紹介しきれない、「白い少女」に関する、雑誌、切り抜き、新聞記事がたくさんありますので、それは、またいつか紹介します。
あと、この映画と同時上映は、中村雅俊さんと五十嵐淳子さんの”凍河”でした。
また、「スプーン一杯の幸せ」の時は、中村雅俊さんと壇ふみさんの”想い出のかたすみに”でした。
P.S.
先日、麻丘めぐみさんと錦野 旦さんの番組があり、麻丘さんの言葉が印象的でした。
「当時人間扱いされていないことに腹立たしかった。いつか逃げ出そうと考えていた。自分は、”スカウト組”で、同じスカウト組の浅田美代子さんと南沙織さんと仲良く、美代ちゃんといつも逃げ出そうと思っていた。スター誕生出身の”オーディション組”はやる気があった。”スカウト組”はやる気がないと怒られていた。5年しか歌っていなかった。」