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1975年の桜田淳子さん(歌手)と涙の真実は、、、 [桜田淳子 各年度総括と音楽賞]

今回の記事は、1975年の桜田淳子さんについてです。

今回の記事は、長いですが、魂こめて書きましたので、最後まで、おつきあいを、、、
途中で、クイズもあります。

1975年は、桜田淳子さんの年でした。(1973年が桜田淳子さん、1974年が山口百恵さんの年でした。)
桜田淳子さんは、1975年は、下記の数々の賞を取りました。

・日本テレビ音楽祭 トップ・アイドル賞
・FNS歌謡祭 最優秀歌謡音楽賞(下期) 「天使のくちびる」
・横浜音楽祭 大衆賞受賞
・あなたが選ぶ全日本歌謡音楽祭 ベストアクション賞
・日本歌謡大賞 放送音楽賞 「天使のくちびる」
・日本レコード大賞 大衆賞 「『十七の夏』他一連のヒット曲」

恒例の「さくらんぼ」紹介です。
1975年、数々の賞をとった淳子さんです。

1975年賞.jpg

1975年賞2.jpg

そして日本テレビ音楽祭 トップ・アイドル賞を取った淳子さんです。

さくらんぼ13-01.jpg

日本テレビ音楽祭 トップ・アイドル賞は、「さくらんぼ」でも、淳子さん自身取りたいと言っていました。
日本テレビ音楽祭 トップ・アイドル賞は、ファンの投票で決まるもので、淳子さんは、10万4千27票で、ダントツの1位でした。

そして、レコード大賞、大衆賞の桜田淳子さん(十七の夏で受賞)

十七の夏0.jpg

そして、日本歌謡大賞 放送音楽賞で、「天使のくちびる」を歌う、桜田淳子さん(1975年11月24日)
日本歌謡大賞では、「天使のくちびる」でした。

日本歌謡大賞2.jpg

日本歌謡大賞3.jpg

泣いていますが、いい表情です。この時の淳子さん、きれいでした。
上記の写真を見ると、淳子さんが一番輝いた1975年、本当に懐かしいです。
淳子さんの賞関係で、この日本歌謡大賞 放送音楽賞での「天使のくちびる」と日本レコード大賞での「わたしの青い鳥」の受賞シーンは、本当に泣けます!!!!!!
「天使のくちびる」は、以前、淳子さんの好きな歌ベストテンを紹介したように大好きな曲です。

ここで、この日本歌謡大賞 放送音楽賞にまつわる話を2つしたいと思います。

一つ目は、
★★★1975年は、淳子さんの年。日本歌謡大賞 放送音楽賞やレコード大賞 歌唱賞、大衆賞は、非常に厳しい。

1973年は、淳子さんが賞を取り、1974年は、百恵さん、1975年が、淳子さん。
明暗がわかれましたが、その年の淳子さんと百恵さんの差は、わずかなのです。

1975年の桜田淳子さんと山口百恵さんのレコード売上を比較をして見ると
下記DATAは、アサヒ芸能からではありません。(笑)
かなり前から用意していたので、、、

桜田淳子さん
はじめての出来事 1974年12月5日 オリコン1位 52.7万枚
ひとり歩き 1975年3月5日 オリコン4位 34.1万枚
十七の夏 1975年6月5日 オリコン2位 40.4万枚
天使のくちびる 1975年8月25日 オリコン4位 28.1万枚
トータル 155.3万枚

山口百恵さん
冬の色 1974.12.10 オリコン1位 52.9万枚
湖の決心 1975.03.21 オリコン5位 24.9万枚
夏ひらく青春 1975.06.10 オリコン4位 32.9万枚
ささやかな欲望 1975.09.21 オリコン5位 32.6 万枚
トータル143.3万枚

トータル枚数では、12万枚の差、オリコン順位でも、わずかな違いですね、、、

これを見ると「はじめての出来事 =「冬の色」です。
厳密に言えば、1位の回数では、「冬の色」がリードしています。
また「天使のくちびる」=「ささやかな欲望」です。、(売り上げは、「ささやかな欲望」が上、最高順位は、「天使のくちびる」の上)
夏の勝負曲で「十七の夏」と「夏ひらく青春」で、差がつきました。
十七の夏は、40万、売り上げて2位になりましたから。
「十七の夏」は、いい曲でしたね、、、「夏ひらく青春」は、インパクトはありましたが、今ひとつでした。
「夏ひらく青春」が1年前の「ひと夏の経験」であれば、もっと差がつまっていたでしょう。

その前の曲の「ひとり歩き」でも「湖の決心」をリードしていました。
「ひとり歩き」は、映画の主題歌でしたので、「湖の決心」を上回りました。

1975年の淳子さんと百恵さんレコードセールス的には、わずかな違いなのです。

1975年の日本歌謡大賞、放送音楽賞は、下記の6人です。(例年5人のようですが、)

シクラメンのかほり/布施明
千曲川/五木ひろし
時の過ぎゆくままに/沢田研二
ともしび/八代亜紀
天使のくちびる/桜田淳子
私鉄沿線/野口五郎

大御所に交じって、桜田淳子さん、野口五郎さんが、賞を取っています。
野口五郎さんは、賞関係(レコード大賞、歌謡大賞)では、1973年、1974年と西城秀樹さんの方が取り、悔しい思いをしてきました。1975年は、野口五郎さんが取り、西城秀樹さんが落ちました。ですので、男性アイドルでも枠はひとつしかありません。
バランス的に、女性アイドルの枠も1人しかなく、淳子さんが取り、百恵さんは、落ちました。
それくらい、厳しいのです。
日本歌謡大賞の放送音楽賞やレコード大賞の歌唱賞と大衆賞は、年に5人から6人なので非常に厳しかったです。
ですので、1975年の桜田淳子さんの日本歌謡大賞 放送音楽賞とレコード大賞 大衆賞獲得は、アイドルとしては、すごいことです。
1978年からレコード大賞は、5人の歌唱賞を廃止し、10人の金賞にして枠を広げています。


2つ目
★★★日本歌謡大賞放送音楽賞受賞で淳子さんの涙の真実


放送音楽賞での涙の真実を書きます。
日本歌謡大賞の放送音楽賞を「天使のくちびる」で獲った時
淳子さんは涙ながらに百恵ちゃんといっしょに、、、と言ったのは、
「百恵ちゃんといっしょに」と言ったのは、日本歌謡大賞の放送音楽賞で「天使のくちびる」の歌を披露したときでは、ありません
。"百恵ちゃんといっしょに"は、いろいろなところに書かれていますが本当の事実を書きます。

11/24の中野サンプラザで日本歌謡大賞が決定する前の11/4の日本歌謡大賞のノミネート歌手発表会場。その記者会見で日本歌謡大賞の放送音楽賞のノミネートの心境を聞かれて、
「本当にうれしく思います。とっても複雑な気持ちです。本番24日に百恵ちゃんといっしょに歌えなく
とっても残念です」と言って涙を流しました。これは、淳子さんの肉声ですので、間違えありません。(紅白歌のベストテンで紹介されました)
よく週刊誌の活字では、この言葉は、少し違って書かれることもあります。
この記者会見が、後に物議をかもすのです。

下記は、記者会見で涙を流す淳子さんです。

日本歌謡大賞.jpg

この雑誌には、”私、百恵ちゃんといっしょに歌いたかったの”と書いてありますが、これも少し違いますね、、、
本当は、「本当にうれしく思います。とっても複雑な気持ちです。本番24日に百恵ちゃんといっしょに歌えなくとっても残念です」が正解です。

この涙の真実を紹介します。

1975年12月の紅白歌のベストテンで、桜田淳子さんが”ウソ発見器”で日本歌謡大賞の放送音楽賞での
涙の真相”を語っています。その時の番組の”ウソ発見器”コーナーから紹介します。

"あの涙は演技”と言われていることの質問に対して、
淳子さんの答えは、「何を言われてもいい。正直に言おうと思っていました。泣いたことは、後悔していない、
百恵ちゃんとは、品川中学からいっしょで仲がいいです。でもまわりからは、ライバル同士と言われる。それが、悲しい。悔しい。百恵ちゃんは、いて安心するいい友達です。芸能界は、真の友達ができないところだと言われている。だけど、私には、百恵ちゃんと言う友達がいる。まわりで、いろいろ言われてショックだった。
わかってもらえないのかと悔しかった」と言っています。

これが、記者会見での涙の真実です。本当にいっしょに賞をとりたかったのですね、、、
これを聴いていると、自分も涙してしまいます。

また、百恵さんも11/24の日本歌謡大賞の当日、淳子さんに下記のメッセッジを残しています。

「淳ちゃん おめでとう。本当に良かったね。淳ちゃんに直接会って、この言葉を言えないのは、残念だけど、今日だけは、泣かないで歌ってね」

百恵さんの言葉、一部紹介します。



そして、淳子さん、本番の11/24の日本歌謡大賞では、歌う前に、高島さんから「頑張りましたね! テレビ見ていると思うから(百恵さんが)、みんな応援しているから」
と声をかけらました。

日本歌謡大賞3.jpg

【ここで問題です。】

【高島さんから「頑張りましたね! テレビ見ていると思うから(百恵さんが)、みんな応援しているから」という問いかけに対して、淳子さんは、何て答えたでしょうか?????わかる方いますか?】

百恵さんからのメッセージの「今日だけは、泣かないで歌ってね」を胸にひめて「天使のくちびる」を、涙をこらえて最後まで歌いきりました。感動物です。
もう皆さん、言われなくてもわかりますね、、
淳子さんと百恵さんは、本当に仲がいい友達でした。

これが、日本歌謡大賞での涙の真実です。

日本歌謡大賞のエピソードでしたが、昔は、日本歌謡大賞、レコード大賞が楽しみでした。
30日に今年もレコード大賞がありますが、あまり、興味がありません。今年もAKB48???


ちなみに1975年のレコード大賞は、
歌唱賞
シクラメンのかほり/布施明
千曲川/五木ひろし
私鉄沿線/野口五郎
人恋しくて/南沙織
花車/小柳ルミ子
の中から布施明さんの「シクラメンのかほり」がとり、まあ順当でしたね、、、


あと1975年の淳子さんは、下記で紹介しています。

あこがれ共同隊
http://majun.blog.so-net.ne.jp/2009-03-04

となりのとなり(16歳の淳子さん)
http://majun.blog.so-net.ne.jp/2010-10-23

・スプーン一杯の幸せ(その一)
http://majun.blog.so-net.ne.jp/2011-08-05

花の高2トリオ 初恋時代
http://majun.blog.so-net.ne.jp/2010-10-01

男はつらいよの17才のブレザーの淳子さん
http://majun.blog.so-net.ne.jp/2010-11-05

1975年は、下記でも淳子さん涙しています。

涙の淳子さん(紅白歌のベストテンでの事件と明星か平凡からの淳子さん)
http://majun.blog.so-net.ne.jp/2011-10-21

上記を見ると、
1975年の桜田淳子さん、歌だけでなく、映画にドラマに大活躍でした。
1975年の淳子さん最高です!!!!!!!一番好きです!!!!!!!!!
自分は、1975年は、淳子さんに夢中で、映画やテレビ番組を見て、コンサートへ行き、淳子さんの本、雑誌を買いました。テレビは、自分の部屋にないので、すべて見ることは、できませんしたが、淳子さんの出演するラジオ番組は、必ずタイマーで、録音して聞いていました。
皆さんの1975年は、どうでしたか?

今回の記事は、ビデオテープ(日本歌謡大賞放送音楽賞の天使のくちびる、レコード大賞大衆賞の十七の夏)、カセットテープ(百恵さんなど)、雑誌(淳子さん)さくらんぼ(淳子さん各賞)、PC(歌謡選抜)とあらゆるところからのデータを使いました。
また、この記事は、10月から構想し、2日間かけて書きましたので、皆さんのご意見をいただければと思っています。

最後に、今年の更新は、この記事が最後になります。
今年も大変お世話になりました。
コメントをいただいた方、ありがとうございました。
皆様のお蔭でなんとか更新してこれました。
皆様、よいお年をお迎えください。

P.S.

1973年の淳子さんと1974年の淳子さんは、以前、下記で紹介しました。

・1974年の桜田淳子さん
1974年の淳子さん(TVガイドの記事)と1974年レコード大賞
http://majun.blog.so-net.ne.jp/2011-12-30

・1973年の桜田淳子さん
1973年の日本レコード大賞の新人賞
http://majun.blog.so-net.ne.jp/2010-12-30

あと、桜えびさんが紹介してくれましたように、「アサヒ芸能」に淳子さんの話題が載っています。
サーフサイド6さんがおっしゃるように、淳子さんの評価が上がる記事なので、まだ見ていない方は、購入または立ち読みでもして、見ていただければと思います。
自分は、買いましたよ、、、、詳細には、触れませんが、特に目新しい事は、ありません。