着物の桜田淳子さん [桜田淳子 週刊明星平凡]
”徹子の部屋”で、着物姿の淳子さんでしたので、今回は、グラビアから着物姿の淳子さんを紹介します。
たぶん、週刊平凡から”My Kimono fashion"と題してです。
”Lady"の頃の淳子さんです。
次に、近代映画からの着物姿です。
もう一枚紹介します。
次に”さくらんぼ”の12号(1975年7月)を紹介します。
まずは、初恋時代やあごがれ共同隊のことが書いてあります。
FNS歌謡祭(フジ)で75年音楽大賞上期最優秀歌謡音楽賞を受賞と書いてあります。
次は、マネージャーさんからのお願いで、日本テレビ音楽祭のトップアイドル賞をとらせてということでした。日本テレビ音楽祭のトップアイドル賞は、明星に人気投票で1位になった人に与えられる賞です。
このころ、各テレビ局やラジオ局が、独自の音楽祭、歌謡祭をやって、賞が乱立していました。
フジテレビが、上記のFNS歌謡祭。日本テレビが日本テレビ音楽祭。テレビ朝日が全日本歌謡音楽祭。
文化放送が新宿音楽祭、ニッポン放送が銀座音楽祭。
そして、TBSのレコード大賞。民放テレビ局持ち回りの日本歌謡大賞。
当時は、あまりにも、賞が多いので、レコード大賞や日本歌謡大賞以外は、賞の権威が今一つで、歌手もあまり、重要視していなかったのでは、、、
でも、いい点は、あります。
FNS歌謡祭、日本テレビ音楽祭、全日本歌謡音楽祭は、放送局にビデオが残ってそうです。???
左のページは新曲の天使のくちびるの紹介です。
最後に”1枚の写真”コーナーと題して”1枚の写真”を紹介します。
たぶん、週刊平凡から”My Kimono fashion"と題してです。
”Lady"の頃の淳子さんです。
次に、近代映画からの着物姿です。
もう一枚紹介します。
次に”さくらんぼ”の12号(1975年7月)を紹介します。
まずは、初恋時代やあごがれ共同隊のことが書いてあります。
FNS歌謡祭(フジ)で75年音楽大賞上期最優秀歌謡音楽賞を受賞と書いてあります。
次は、マネージャーさんからのお願いで、日本テレビ音楽祭のトップアイドル賞をとらせてということでした。日本テレビ音楽祭のトップアイドル賞は、明星に人気投票で1位になった人に与えられる賞です。
このころ、各テレビ局やラジオ局が、独自の音楽祭、歌謡祭をやって、賞が乱立していました。
フジテレビが、上記のFNS歌謡祭。日本テレビが日本テレビ音楽祭。テレビ朝日が全日本歌謡音楽祭。
文化放送が新宿音楽祭、ニッポン放送が銀座音楽祭。
そして、TBSのレコード大賞。民放テレビ局持ち回りの日本歌謡大賞。
当時は、あまりにも、賞が多いので、レコード大賞や日本歌謡大賞以外は、賞の権威が今一つで、歌手もあまり、重要視していなかったのでは、、、
でも、いい点は、あります。
FNS歌謡祭、日本テレビ音楽祭、全日本歌謡音楽祭は、放送局にビデオが残ってそうです。???
左のページは新曲の天使のくちびるの紹介です。
最後に”1枚の写真”コーナーと題して”1枚の写真”を紹介します。
近代映画からの桜田淳子さん [桜田淳子 近代映画]
先日、お知らせしたように第三金曜日なので、ライトな更新になります。
近代映画からの淳子さんです。
P.S.
"BS日本のうた"で、森昌子さんが、淳子さんの”わたしの青い鳥”を歌っていました。
森昌子さんは、山口百恵さんの”ひと夏の経験”も歌っていました。
淳子さんと言えば、”わたしの青い鳥”で、百恵さんと言えば、”ひと夏の経験”になってしまうようです。
そして、昌子さんと言えば、野口五郎さん。中三トリオと新御三家のペアでは、森昌子さんは野口五郎さんとが多かったですね、、、
今回の昌子さんと、五郎さんの共演良かったです。
淳子さんは、西城秀樹さん?郷ひろみさん?の共演、どちらが多かったでしょうか?
野口五郎さんも西城秀樹さんの”情熱の嵐”、郷ひろみさんの”よろしく哀愁”を歌いました。
当時、中三トリオを見るにしても、歌番組では、必ず新御三家の誰かは出ていたので、新御三家の歌も親近感があります。
やはり、当時の歌良かった、、、、、
新御三家は、全員現役、中三トリオでは、昌子さんだけ現役、少し、淋しいです。
近代映画からの淳子さんです。
P.S.
"BS日本のうた"で、森昌子さんが、淳子さんの”わたしの青い鳥”を歌っていました。
森昌子さんは、山口百恵さんの”ひと夏の経験”も歌っていました。
淳子さんと言えば、”わたしの青い鳥”で、百恵さんと言えば、”ひと夏の経験”になってしまうようです。
そして、昌子さんと言えば、野口五郎さん。中三トリオと新御三家のペアでは、森昌子さんは野口五郎さんとが多かったですね、、、
今回の昌子さんと、五郎さんの共演良かったです。
淳子さんは、西城秀樹さん?郷ひろみさん?の共演、どちらが多かったでしょうか?
野口五郎さんも西城秀樹さんの”情熱の嵐”、郷ひろみさんの”よろしく哀愁”を歌いました。
当時、中三トリオを見るにしても、歌番組では、必ず新御三家の誰かは出ていたので、新御三家の歌も親近感があります。
やはり、当時の歌良かった、、、、、
新御三家は、全員現役、中三トリオでは、昌子さんだけ現役、少し、淋しいです。
今後の更新のお知らせ [お知らせ]
こんばんは。
お知らせがあります。
このブログですが、基本的に毎週更新をしてきましたが、今後は、更新日を毎月第一金曜日、第二金曜日、第四金曜日にさせていただきます。
金曜日、更新できない場合は、次の日の土曜日とさせていただきます。
ただし、タイムリーな話題があった場合は、第三金曜日、第五金曜日にも更新したいと思います。
その場合は、振替で、第三金曜日更新した場合は、第四金曜日、第五金曜日した場合は、第一金曜日の更新は、基本的には、なくなります。その都度お知らせします。
第三金曜日は、淳子さんのグラビア1枚や雑誌や本の一部を簡単に紹介することもあります。
第五金曜日は、たまに、1970年代の話題か、淳子さんのグラビア1枚や雑誌や本の一部を紹介して更新することもあります。
なるべく、毎週、更新は、しますが、第三金曜日は、他の金曜日に比べて、かなりライトな印象になります。
(第五金曜日もそうなります)
本当に、一番大好きな桜田淳子中心のブログであることには、かわりませんし、今後もブログを続けていきます。
上記は、あくまでも、予定ですので、また、変更することがあるかもしれません。
引き続き、よろしくお願いいたします。
P.S.
私のもう一つのブログもどこかで始めています。(お知らせは、まだできませんが)
お知らせがあります。
このブログですが、基本的に毎週更新をしてきましたが、今後は、更新日を毎月第一金曜日、第二金曜日、第四金曜日にさせていただきます。
金曜日、更新できない場合は、次の日の土曜日とさせていただきます。
ただし、タイムリーな話題があった場合は、第三金曜日、第五金曜日にも更新したいと思います。
その場合は、振替で、第三金曜日更新した場合は、第四金曜日、第五金曜日した場合は、第一金曜日の更新は、基本的には、なくなります。その都度お知らせします。
第三金曜日は、淳子さんのグラビア1枚や雑誌や本の一部を簡単に紹介することもあります。
第五金曜日は、たまに、1970年代の話題か、淳子さんのグラビア1枚や雑誌や本の一部を紹介して更新することもあります。
なるべく、毎週、更新は、しますが、第三金曜日は、他の金曜日に比べて、かなりライトな印象になります。
(第五金曜日もそうなります)
本当に、一番大好きな桜田淳子中心のブログであることには、かわりませんし、今後もブログを続けていきます。
上記は、あくまでも、予定ですので、また、変更することがあるかもしれません。
引き続き、よろしくお願いいたします。
P.S.
私のもう一つのブログもどこかで始めています。(お知らせは、まだできませんが)
タグ:桜田淳子
「徹子の部屋」からの桜田淳子さんと"初恋・通りゃんせ"の淳子さん [桜田淳子 テレビ対談番組]
”オーロラの下で”での記事のコメントで「徹子の部屋」の話題がありましたので、1982年に「徹子の部屋」に出演した淳子さんを手持ちのビデオから紹介します。
「徹子の部屋」は、1976年に始まった黒柳徹子さんとゲストとの対談番組です。
当時は、平日の昼間の放送のため、ほとんど、見たことがないです。(スター千一夜は、夜の時間のため見れましたが、、、)
「徹子の部屋」の出演した淳子さんです。
ビデオは、すべての話が残っているわけではありませんが、
・結婚
・長谷川一夫さんのこと
・かくれ淳子ファン
・百恵さんのこと
について話されていました。
百恵さんについては、
3人娘で林檎の皮むきが一番うまかった。
一番、結婚が遅いと思っていた。
一番、面倒見が良く、世話好きだったと言っています。
「徹子の部屋」のような、対談番組で、1970年代のスターが出るような対談番組、BSあたりでやって欲しいです。
最後に”あの記事をもう一度”コーナーと題して、過去に書いた記事を、紹介します。
写真は、過去と同じ物ではでなく、初めての写真を紹介することを基本とします。
今回は、1978年の単発ドラマ"初恋・通りゃんせ"の淳子さんです。
てんつくてんから約5年後のドラマです。
過去の記事は、下記になります。
http://majun.blog.so-net.ne.jp/2009-12-06
今回は、ビデオから別の映像を紹介します。
"初恋・通りゃんせ"は、東芝日曜劇場での放送で、日曜日21:00からTBSで放映されました。
ジェームス三木さんの脚本で、淳子さんは、バスガイドの役でした。
このころの東芝日曜劇場は、VTRで、放送局に残っているでしょうか?
1970年代の淳子さんのドラマは、価値があります。
「徹子の部屋」は、1976年に始まった黒柳徹子さんとゲストとの対談番組です。
当時は、平日の昼間の放送のため、ほとんど、見たことがないです。(スター千一夜は、夜の時間のため見れましたが、、、)
「徹子の部屋」の出演した淳子さんです。
ビデオは、すべての話が残っているわけではありませんが、
・結婚
・長谷川一夫さんのこと
・かくれ淳子ファン
・百恵さんのこと
について話されていました。
百恵さんについては、
3人娘で林檎の皮むきが一番うまかった。
一番、結婚が遅いと思っていた。
一番、面倒見が良く、世話好きだったと言っています。
「徹子の部屋」のような、対談番組で、1970年代のスターが出るような対談番組、BSあたりでやって欲しいです。
最後に”あの記事をもう一度”コーナーと題して、過去に書いた記事を、紹介します。
写真は、過去と同じ物ではでなく、初めての写真を紹介することを基本とします。
今回は、1978年の単発ドラマ"初恋・通りゃんせ"の淳子さんです。
てんつくてんから約5年後のドラマです。
過去の記事は、下記になります。
http://majun.blog.so-net.ne.jp/2009-12-06
今回は、ビデオから別の映像を紹介します。
"初恋・通りゃんせ"は、東芝日曜劇場での放送で、日曜日21:00からTBSで放映されました。
ジェームス三木さんの脚本で、淳子さんは、バスガイドの役でした。
このころの東芝日曜劇場は、VTRで、放送局に残っているでしょうか?
1970年代の淳子さんのドラマは、価値があります。
スプーン一杯の幸せ(アルバム)と忍の一字(歌手の淳子さんと女優の淳子さん) [桜田淳子 ドラマとアルバム]
まずは、歌手の淳子さんで以前にもアルバムを紹介しましたが、今回もアルバムを紹介していきます。
淳子さんのアルバムの中で、前期では、「わたしの素顔」と共に、一番気にいっているアルバムが「スプーン一杯の幸せ」です。
淳子さんがはじめての出来事で大ヒットした後の一番輝いていた時の1975年の4月のアルバムです。
LPとCDです。
このアルバムは、曲だけでなくジャケットの写真が一番いいです。
裏のジャケットもいいです。
このアルバムですが、当時、聞いていたとき、B面よりA面を圧倒的に聞いていた覚えがあります。
A面の方に、好きな曲が多かったです。A面は、シングルの「ひとり歩き」以外は、落合恵子さんの作詞です。落合恵子さんは、作詞家としても才能がありました。
「ひとり歩き」からいきなり始まり、その後の「今日から私は」「明日も愛して下さいますか」「さよならは言えない」「涙のいいわけ」落合恵子さんの作詞の曲すべていいです。
「明日も愛して下さいますか」はなんと4年後のNHKのビッグショーでも歌われました。
4年後にアルバムの曲が歌われたことはすごいことです。
このCDのライナーノーツによると、当時のディレクターが、一度、淳子さんの曲を筒美さんにお願いしたかったようで、それが「ひとり歩き」ということでした。
スプーン一杯の幸せの映画の方は、すでに、このブログで”スプーン一杯の幸せ(その一)”として紹介しています。その二は、まだですが、、、、
次に女優の淳子さんです。淳子さんが歌手を卒業してからの1985年のNHKで放映された「忍の一字」です。時代劇専門チャンネルでやっていたので、時代劇ですけど、最初から最後まで、見ました。途中からストーリーを思い出し、このドラマは、当時、見ていた気がします。
P.S.
先週、週刊現代の記事やグラビアについて、話をしましたが、
そのグラビアで紹介されていた”永久保存版写真集 平凡パンチ’70 The Nude”
を買ってしまいました。
「昭和の女優、アイドル」コーナーとして、その本の中の”ひし美ゆり子”さんを紹介します。
今回、”永久保存版写真集 平凡パンチ’70 The Nude”を買ったのは、関根恵子さんもありますが、ひし美ゆり子のグラビアが載っていたからです。
ひし美ゆり子さん25才の時の写真です。
ひし美ゆり子さんと言えば、何と言っても、ウルトラセブンの”アンヌ”隊員。
当時、小さいながらも、ウルトラセブンと怪獣との戦いを見ていましたが、”アンヌ”隊員に憧れていました。
ウルトラセブンの最終回は、感動物でした。
下記は、ウルトラセブンの最終回からです。
ひし美ゆり子さんのブログにも、この写真集のことが、書かれています。
http://blog.goo.ne.jp/anneinfi/e/58d4cfe786038429349bdc4c06274f20
今後も「昭和の女優、アイドル」コーナーは、やりたいと思いますが、、、
あと、先週のJ-POP青春の'80で、山本潤子さん、太田裕美さんの歌を聞けました。
太田裕美さんは、「赤いハイヒール」を久しぶりに歌ってくれました。
淳子さんのアルバムの中で、前期では、「わたしの素顔」と共に、一番気にいっているアルバムが「スプーン一杯の幸せ」です。
淳子さんがはじめての出来事で大ヒットした後の一番輝いていた時の1975年の4月のアルバムです。
LPとCDです。
このアルバムは、曲だけでなくジャケットの写真が一番いいです。
裏のジャケットもいいです。
このアルバムですが、当時、聞いていたとき、B面よりA面を圧倒的に聞いていた覚えがあります。
A面の方に、好きな曲が多かったです。A面は、シングルの「ひとり歩き」以外は、落合恵子さんの作詞です。落合恵子さんは、作詞家としても才能がありました。
「ひとり歩き」からいきなり始まり、その後の「今日から私は」「明日も愛して下さいますか」「さよならは言えない」「涙のいいわけ」落合恵子さんの作詞の曲すべていいです。
「明日も愛して下さいますか」はなんと4年後のNHKのビッグショーでも歌われました。
4年後にアルバムの曲が歌われたことはすごいことです。
このCDのライナーノーツによると、当時のディレクターが、一度、淳子さんの曲を筒美さんにお願いしたかったようで、それが「ひとり歩き」ということでした。
スプーン一杯の幸せの映画の方は、すでに、このブログで”スプーン一杯の幸せ(その一)”として紹介しています。その二は、まだですが、、、、
次に女優の淳子さんです。淳子さんが歌手を卒業してからの1985年のNHKで放映された「忍の一字」です。時代劇専門チャンネルでやっていたので、時代劇ですけど、最初から最後まで、見ました。途中からストーリーを思い出し、このドラマは、当時、見ていた気がします。
P.S.
先週、週刊現代の記事やグラビアについて、話をしましたが、
そのグラビアで紹介されていた”永久保存版写真集 平凡パンチ’70 The Nude”
を買ってしまいました。
「昭和の女優、アイドル」コーナーとして、その本の中の”ひし美ゆり子”さんを紹介します。
今回、”永久保存版写真集 平凡パンチ’70 The Nude”を買ったのは、関根恵子さんもありますが、ひし美ゆり子のグラビアが載っていたからです。
ひし美ゆり子さん25才の時の写真です。
ひし美ゆり子さんと言えば、何と言っても、ウルトラセブンの”アンヌ”隊員。
当時、小さいながらも、ウルトラセブンと怪獣との戦いを見ていましたが、”アンヌ”隊員に憧れていました。
ウルトラセブンの最終回は、感動物でした。
下記は、ウルトラセブンの最終回からです。
ひし美ゆり子さんのブログにも、この写真集のことが、書かれています。
http://blog.goo.ne.jp/anneinfi/e/58d4cfe786038429349bdc4c06274f20
今後も「昭和の女優、アイドル」コーナーは、やりたいと思いますが、、、
あと、先週のJ-POP青春の'80で、山本潤子さん、太田裕美さんの歌を聞けました。
太田裕美さんは、「赤いハイヒール」を久しぶりに歌ってくれました。