1974年の淳子さん(TVガイドの記事)と1974年レコード大賞 [桜田淳子 各年度総括と音楽賞]
1973年の淳子さんは、新人賞を総なめにしてきましたが、
1974年の淳子さんは、賞関係をとることは、できませんでした。
反対に百恵さんは、1974年は、1973年のくやしさをばねに、日本歌謡大賞放送音楽賞、レコード大賞大衆賞と大活躍でした。
ただ、淳子さんと百恵さんのレコード売上の差は、わずかですが、このわずかな違いが、天国と地獄の差に表れてしまいます。
下記は、百恵さんのレコード大賞大衆賞と日本歌謡大賞放送音楽賞のシーンです。
1974年の賞の対象になる
前年11月からその年の10月までに発売された新譜を淳子さんと百恵さん比較しました。
1974年の淳子さん
花物語 1973.11.5 オリコン9位
三色すみれ 1974.2.25 オリコン10位
黄色いリボン 1974.5.25 オリコン10位
花占い 1974.8.25 オリコン 9位
1974年の百恵さん
禁じられた遊び 1973.11.21 オリコン12位
春風のいたずら 1974.3.01 オリコン11位
ひと夏の経験 1974.6.01 オリコン3位
ちっぽけな感傷 1974.9.01 オリコン3位
これを見ると、淳子さんと百恵さんの差は、わずかで、淳子さんは、コンスタントに9位、10位で花物語、三色すみれでは、禁じられた遊び、春風のいたずらを上回っている。
ただ、百恵さんは、ひと夏の経験での3位でのヒットが大きく、この曲で賞を受賞している。わずかな違いで、賞をもらえるか、もらえないかになっています。
ここで1974年の淳子さんを総括するTVガイドの記事”桜田淳子が泣いて笑った48時間”を紹介します。
記事には、
”レコード大衆賞当確かと言われた桜田淳子が落ちた。ライバル山口百恵が、晴れの舞台に立っている時、淳子は、会場に背を向けて去った”とあります。
日本レコード大賞のノミネーション(11月19日)に淳子さんは、前年度最優秀新人賞受賞者として出演をし、大衆賞や歌唱賞にノミネートにスタンバイしていましたが、大衆賞や歌唱賞に名前を呼ばれることはなかったと書いてあります。
このとき、淳子さんは、大衆賞を取れなかったが、泣いている新人たちをサポートしました。
この時のシーンが、”お茶の間では、ほのぼのしたものを感じた、感激した”と書いてありました。
最後に1974年のレコード大賞新人賞は、
「恋はダンダン」浅野ゆう子
「太陽の日曜日」荒川 務
「イルカにのった少年」城みちる
「空港」テレサ・テン
「あなたにあげる」西川峰子
「逃避行」麻生よう子
で6人が取りました。前年度も次年度は、新人賞は5人で、厳しかったのに、1974年はなぜか6人。
どこから、圧力がかかったのでしょうか?
その中では、最優秀新人賞は、歌唱力があり、正統派歌謡曲の麻生よう子さんの「逃避行」が取りました。
P.S.
”名歌手たちの名勝負名対決”で淳子さん、少し映っていた気がします。
1974年の淳子さんは、賞関係をとることは、できませんでした。
反対に百恵さんは、1974年は、1973年のくやしさをばねに、日本歌謡大賞放送音楽賞、レコード大賞大衆賞と大活躍でした。
ただ、淳子さんと百恵さんのレコード売上の差は、わずかですが、このわずかな違いが、天国と地獄の差に表れてしまいます。
下記は、百恵さんのレコード大賞大衆賞と日本歌謡大賞放送音楽賞のシーンです。
1974年の賞の対象になる
前年11月からその年の10月までに発売された新譜を淳子さんと百恵さん比較しました。
1974年の淳子さん
花物語 1973.11.5 オリコン9位
三色すみれ 1974.2.25 オリコン10位
黄色いリボン 1974.5.25 オリコン10位
花占い 1974.8.25 オリコン 9位
1974年の百恵さん
禁じられた遊び 1973.11.21 オリコン12位
春風のいたずら 1974.3.01 オリコン11位
ひと夏の経験 1974.6.01 オリコン3位
ちっぽけな感傷 1974.9.01 オリコン3位
これを見ると、淳子さんと百恵さんの差は、わずかで、淳子さんは、コンスタントに9位、10位で花物語、三色すみれでは、禁じられた遊び、春風のいたずらを上回っている。
ただ、百恵さんは、ひと夏の経験での3位でのヒットが大きく、この曲で賞を受賞している。わずかな違いで、賞をもらえるか、もらえないかになっています。
ここで1974年の淳子さんを総括するTVガイドの記事”桜田淳子が泣いて笑った48時間”を紹介します。
記事には、
”レコード大衆賞当確かと言われた桜田淳子が落ちた。ライバル山口百恵が、晴れの舞台に立っている時、淳子は、会場に背を向けて去った”とあります。
日本レコード大賞のノミネーション(11月19日)に淳子さんは、前年度最優秀新人賞受賞者として出演をし、大衆賞や歌唱賞にノミネートにスタンバイしていましたが、大衆賞や歌唱賞に名前を呼ばれることはなかったと書いてあります。
このとき、淳子さんは、大衆賞を取れなかったが、泣いている新人たちをサポートしました。
この時のシーンが、”お茶の間では、ほのぼのしたものを感じた、感激した”と書いてありました。
最後に1974年のレコード大賞新人賞は、
「恋はダンダン」浅野ゆう子
「太陽の日曜日」荒川 務
「イルカにのった少年」城みちる
「空港」テレサ・テン
「あなたにあげる」西川峰子
「逃避行」麻生よう子
で6人が取りました。前年度も次年度は、新人賞は5人で、厳しかったのに、1974年はなぜか6人。
どこから、圧力がかかったのでしょうか?
その中では、最優秀新人賞は、歌唱力があり、正統派歌謡曲の麻生よう子さんの「逃避行」が取りました。
P.S.
”名歌手たちの名勝負名対決”で淳子さん、少し映っていた気がします。