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1976年の桜田淳子さんと音楽祭 [桜田淳子 各年度総括と音楽賞]

青大将さんの「制服に両サイドの髪を、ゴムで縛った様な姿で写ってる写真」のコメントにより 「ねえ!気がついてよ」の桜田淳子さんを追加しました。(12/27)
dunsfordさんから、この年は、都はるみさんの「北の宿から」の年だったというコメントをいただきましたので、また、青大将さんからも1976年の歌謡曲は、どれもこれも好きな曲というコメントをいただきましたので「北の宿から」がチャートインしている1976年12月のオリコンのチャートを追加しました。(12/27)


本来なら12/27(金)の更新ですが、1日早めて、12/26(木)の更新になります。

2013年は、4月に「はらぺこ同志」のDVD発売、10月に「Thanks40~青い鳥たちへ」発売、11月に「Thanks 40 スペシャル ~ファン感謝DAY」開催などありました。
なんと言っても「Thanks40~青い鳥たちへ」発売と「Thanks 40 スペシャル ~ファン感謝DAY」開催が大きいですね、、、
今年の1月1日の記事に書きましたが、40周年という節目が、淳子さん復帰の最後のチャンスと思っていました。
約22年ぶりにファンの前に登場して、それを観れたことが、よかったです。
もうこんな時は、こないかと思うと、2013年は、忘れられない年になりそうです。



今回の記事は、1976年の桜田淳子さんについてです。

今回の記事は、カセットや資料をさがすのに大変でしたし、魂をこめてかなりの時間をかけて書きましたので、最後まで、おつきあいを、、、
途中で、2つのクイズもあります。

まずは、1976年の桜田淳子さんを振り返ります。


2月25日 「泣かないわ」発売
2月 スカンジナビア号で「桜田淳子四年目の船出」キャンペーン
(1)
スカンジナビア号での淳子さんです。素晴らしい。。。
スカンジナビア.jpg

4月 松竹映画「遺書・白い少女」公開
(2)
相澤さんと福田さんといっしょの白い少女の撮影時です。

白い少女.jpg

4月 日劇  桜田淳子ショー 淳子の四季
(3)

日劇.jpg

5月25日 「夏にご用心」発売
6月 国立競技場で「がんばれ淳子!ジュンコひとりぼっちのトレーニング」
7月 全国縦断リサイタル「青春讃歌」開催

(4)

リサイタル3-1.jpg


(5)
横のストライプですが、(1)の写真とは、違います。

青春讃歌4.jpg


8月 日本テレビ音楽祭 敢闘賞受賞
8月25日 「ねえ!気がついてよ」発売

(10)
歌本より
ねえ!気がついてよ.jpg

10月 あなたが選ぶ全日本歌謡祭 ベストアクション賞
12月5日 「もう一度だけふりむいて」発売
12月31日「夏にご用心」で紅白3回目出場

1976年の桜田淳子さんは、歌に映画にリサイタルと充実した1年でした。
この中では、全国縦断リサイタル「青春讃歌」開催が自分にとっては、一番ですが
皆さんは、1976年の淳子さんいかがでしょうか?どれが印象的でしょうか?

ここで、桜田淳子さん自身が選んだ1976年の十大ニュースを紹介します。

(6)

十大ニュース.jpg


ここで、問題です。
ピンクの部分、隠れていますが、、桜田淳子さん自身が選んだこの十大ニュースの一つ
は、何でしょうか?
ヒントは、前後をよく見てください。

次に音楽祭の賞についてです。

1973年が桜田淳子さん、1974年が山口百恵さん、1975年が桜田淳子さんの年でした。
1976年は、どうだったでしょうか?

ここで、1976年の桜田淳子さんと山口百恵さんのレコード売上を比較をして見ると
(1976年の賞の対象になる前年11月からその年の10月までに発売された新譜を比較しました。)


ゆれてる私 1975年11月25日 27.0万枚 5位
泣かないわ 1976年2月25日 21.6万枚 4位
夏にご用心 1976年5月25日 36.0万枚 2位
ねえ!気がついてよ 1976年8月25日 28.6万枚 2位

白い約束 1975年12月21日 35.0万枚 2位
愛に走って 1976年3月21日 46.5万枚 2位
横須賀ストーリー 1976年6月21日 66.1万枚 1位
パールカラーにゆれて 1976年9月21日 47.0万枚 1位

淳子さんは、すべての曲が、5位以内で、頑張りましたが、レコード売上枚数的には、山口百恵さんには、及びませんでした。
ですので、1976年は、百恵さんの年でした。
1973年と1975年が淳子さん>百恵さん
1974年と1976年が百恵さん>淳子さん
オセロのように活躍した年が交互になっています。でも、それぞれの年で、僅差でしたね、、


それでも、1976年に、桜田淳子さんは、日本テレビ音楽祭 敢闘賞受賞とあなたが選ぶ全日本歌謡祭 ベストアクション賞をもらいました。

(7)

日本テレビ音楽祭敢闘賞.jpg

(8)

全日本歌謡音楽祭ベストアクション.jpg

これだけ、ヒットした桜田淳子さん、山口百恵さんですが、日本歌謡大賞 放送音楽賞やレコード大賞 歌唱賞は、非常に厳しいです。

まずは、1976年の日本歌謡大賞放送音楽賞について触れたいと思います。
放送音楽賞候補は、下記の13人でした。

あなたがいたからぼくがいた 郷ひろみ
春一番 キャンディーズ
どこへ帰る 五木ひろし
あばよ 研ナオコ
針葉樹 野口五郎
木綿のハンカチーフ 太田裕美
もう一度逢いたい 八代亜紀
若き獅子たち   西城秀樹
横須賀ストーリー 山口百恵
さざんか 森進一
北の宿から 都はるみ
北の旅愁 細川たかし
夏にご用心 桜田淳子

桜田淳子さんは、番組では、最後の13番目に「夏にご用心 桜田淳子」とコールされました。
司会者から、「どうですか気分は」ときかれてました。


ここで問題です。
司会者から、「どうですか気分は」ときかれ、桜田淳子さんは、何と答えたでしょうか?
今回は、昨年のように無言では、ありません。

それでは、日本歌謡大賞放送音楽賞候補の桜田淳子さんに「夏にご用心」です。

(9)
日本歌謡大賞夏にご用心.jpg

桜田淳子さんは、ノミネートの感想を番組の後、こう語っています。
「モニターの前で、緊張して見ていた。本当にだめだと思った。最後に選ばれて良かった。」とインタビューで、答えていました。

一方百恵さんは、ノミネートの感想を番組の後、こう語っています。

「ありがとうございました。今年は、ラッキーな1年だったと思うが、あと2か月あるので、とっておきたい。」
昨年、百恵ちゃんといっしょに歌いたかったと淳子ちゃんが泣いたの知っていますか?に対して
「うれしかった。自分もいっしょに歌いたかったので、残念だった。」とインタビューで、答えていました。

結局放送音楽賞は、13人の中から下記6人でした。

あばよ 研ナオコ
針葉樹 野口五郎
もう一度逢いたい 八代亜紀
横須賀ストーリー 山口百恵
さざんか 森進一
北の宿から 都はるみ

日本歌謡大賞での百恵さんです。

放送音楽賞横須賀ストーリー.jpg

これを見ると、男性アイドルで1人(野口五郎)、女性アイドルで1人(山口百恵)しか枠がなく厳しいですね、、、


1976年は、桜田淳子さんでなく、山口百恵さんが放送音楽賞をとりました。
またしても、桜田淳子さんと山口百恵さんは、いっしょに賞は、とれませんでした。
桜田淳子さんは、日本歌謡大賞 放送音楽賞の厳しさを知っており、1976年は、日本歌謡大賞 放送音楽賞は難しいと感じていたようでした。
しかし、オリコン24位の「さざんか」の森進一さんが選ばれるなんて、公正さを欠いているような気がします。




次に1976年の日本レコード大賞について触れたいと思います。

まずは、日本レコード大賞候補10曲は、下記です。(発表順)

メランコリー 梓みちよ
あばよ 研ナオコ
若き獅子たち 西城秀樹
針葉樹 野口五郎
落ち葉が雪に 布施明
北の宿から 都はるみ
さざんか 森進一
もう一度逢いたい 八代亜紀
恋ひとつ雪景色 森昌子
横須賀ストーリー 山口百恵

日本レコード大賞での森昌子さんと山口百恵さんです。

昌子.jpg

百恵.jpg

桜田淳子さん、あれだけヒットしたのに10曲に入れません。
この年は、まだ、レコード大賞の古い体質か、ベテラン、演歌が強いです。
アイドルは、厳しいですね、、、

そして、この10曲から歌唱賞5曲が下記のように選ばれました。(発表順)

もう一度逢いたい 八代亜紀
若き獅子たち 西城秀樹
針葉樹 野口五郎
北の宿から 都はるみ
あばよ 研ナオコ

最後は、個人的には、山口百恵さんだと思っていましたが、
研ナオコさんでした。
日本レコード大賞 歌唱賞は、アイドルに厳しいですね、、

研ナオコさんは、1976年は、「あばよ」しかヒットしていません。
それも10月10日発売。「あばよ」の売り上げ枚数も「横須賀ストーリー」と同じくらい。
一方百恵さんは、「横須賀ストーリー」、「パールカラーにゆれて」で1位。
「白い約束、「愛に走って」は、2位
これで、日本レコード大賞 歌唱賞がとれないなんて、ありえないですよ、、
レコード大賞の古い体質ですね、、、百恵さんの歌唱力に疑問があって(実際は歌唱力ありますが)、歌唱賞をはずされたと、当時、思っていました。

1976年のレコード大賞は、都はるみさんの「北の宿から」最優秀新人賞は、内藤やす子さん
でした。

内藤.jpg

1976年の12月13日のオリコンチャートです。
都はるみさんの「北の宿から」からが発売後2位になっています。(1位になった時のオリコンチャートは探していますが)
こうしてみると、懐かしい歌、多いですね、、、

19761213ブログ.jpg

1976年は、皆さんにとってどんな年でしたか?
1976年は、野球では、長嶋ジャイアンツが最下位から優勝。モントリオールオリンピックも開催されました。


1975年の桜田淳子さんは、1年前下記で紹介しています。
下記の記事は、2日間かかって書いた記事ですので、読んでない方は、読んでいただけると
ありがたいです。

1975年の桜田淳子さん(歌手)と涙の真実は
http://majun.blog.so-net.ne.jp/2012-12-27

毎年、年末は、下記のような記事を書いています。

1974年の淳子さん(TVガイドの記事)と1974年レコード大賞
http://majun.blog.so-net.ne.jp/2011-12-30

1973年の日本レコード大賞の新人賞 
http://majun.blog.so-net.ne.jp/2010-12-30

今回の情報を下記の桜田淳子さんのバイオグラフィー・歴史に追加しました。

桜田淳子さんのバイオグラフィー・歴史
http://majun.blog.so-net.ne.jp/2013-02-24

最後に、今年の更新は、この記事が最後になります。
(何か、あれば、、臨時更新はしますが)
今年も大変お世話になりました。
コメントをいただいた方、ありがとうございました。
皆様のお蔭でなんとか更新してこれました。
皆様、よいお年をお迎えください。
(次回は、1月1日更新予定です)  

P.S.

12/26のベストヒット歌謡だが、いしだあゆみさんの「ブルーライトヨコハマ」が良かった。
1969年の紅白の映像は、よく流れるが、今回は、1973年の紅白の映像らしい。

年末に新しいパソコンを買い、SET UPに5日間かかりました。
今回は、来年XPがサポート終了しますので、急遽、購入いたしました。
今までは、Windows7のパソコン1台とWindowsXPのパソコン1台でしたが、
今回、Windows7のパソコンを購入しましたので、Windows7のパソコン2台になります。
Windows8は、vistaをパスしたのと同じく、パスし、3年後に、Windows9を買いたいと思います。
いや、新しいパソコン、速くていいです。
1年半前に買った同じWindows7のパソコンより快適です。
今回の記事から新しいパソコンで、記事をアップしました。


1975年の桜田淳子さん(歌手)と涙の真実は、、、 [桜田淳子 各年度総括と音楽賞]

今回の記事は、1975年の桜田淳子さんについてです。

今回の記事は、長いですが、魂こめて書きましたので、最後まで、おつきあいを、、、
途中で、クイズもあります。

1975年は、桜田淳子さんの年でした。(1973年が桜田淳子さん、1974年が山口百恵さんの年でした。)
桜田淳子さんは、1975年は、下記の数々の賞を取りました。

・日本テレビ音楽祭 トップ・アイドル賞
・FNS歌謡祭 最優秀歌謡音楽賞(下期) 「天使のくちびる」
・横浜音楽祭 大衆賞受賞
・あなたが選ぶ全日本歌謡音楽祭 ベストアクション賞
・日本歌謡大賞 放送音楽賞 「天使のくちびる」
・日本レコード大賞 大衆賞 「『十七の夏』他一連のヒット曲」

恒例の「さくらんぼ」紹介です。
1975年、数々の賞をとった淳子さんです。

1975年賞.jpg

1975年賞2.jpg

そして日本テレビ音楽祭 トップ・アイドル賞を取った淳子さんです。

さくらんぼ13-01.jpg

日本テレビ音楽祭 トップ・アイドル賞は、「さくらんぼ」でも、淳子さん自身取りたいと言っていました。
日本テレビ音楽祭 トップ・アイドル賞は、ファンの投票で決まるもので、淳子さんは、10万4千27票で、ダントツの1位でした。

そして、レコード大賞、大衆賞の桜田淳子さん(十七の夏で受賞)

十七の夏0.jpg

そして、日本歌謡大賞 放送音楽賞で、「天使のくちびる」を歌う、桜田淳子さん(1975年11月24日)
日本歌謡大賞では、「天使のくちびる」でした。

日本歌謡大賞2.jpg

日本歌謡大賞3.jpg

泣いていますが、いい表情です。この時の淳子さん、きれいでした。
上記の写真を見ると、淳子さんが一番輝いた1975年、本当に懐かしいです。
淳子さんの賞関係で、この日本歌謡大賞 放送音楽賞での「天使のくちびる」と日本レコード大賞での「わたしの青い鳥」の受賞シーンは、本当に泣けます!!!!!!
「天使のくちびる」は、以前、淳子さんの好きな歌ベストテンを紹介したように大好きな曲です。

ここで、この日本歌謡大賞 放送音楽賞にまつわる話を2つしたいと思います。

一つ目は、
★★★1975年は、淳子さんの年。日本歌謡大賞 放送音楽賞やレコード大賞 歌唱賞、大衆賞は、非常に厳しい。

1973年は、淳子さんが賞を取り、1974年は、百恵さん、1975年が、淳子さん。
明暗がわかれましたが、その年の淳子さんと百恵さんの差は、わずかなのです。

1975年の桜田淳子さんと山口百恵さんのレコード売上を比較をして見ると
下記DATAは、アサヒ芸能からではありません。(笑)
かなり前から用意していたので、、、

桜田淳子さん
はじめての出来事 1974年12月5日 オリコン1位 52.7万枚
ひとり歩き 1975年3月5日 オリコン4位 34.1万枚
十七の夏 1975年6月5日 オリコン2位 40.4万枚
天使のくちびる 1975年8月25日 オリコン4位 28.1万枚
トータル 155.3万枚

山口百恵さん
冬の色 1974.12.10 オリコン1位 52.9万枚
湖の決心 1975.03.21 オリコン5位 24.9万枚
夏ひらく青春 1975.06.10 オリコン4位 32.9万枚
ささやかな欲望 1975.09.21 オリコン5位 32.6 万枚
トータル143.3万枚

トータル枚数では、12万枚の差、オリコン順位でも、わずかな違いですね、、、

これを見ると「はじめての出来事 =「冬の色」です。
厳密に言えば、1位の回数では、「冬の色」がリードしています。
また「天使のくちびる」=「ささやかな欲望」です。、(売り上げは、「ささやかな欲望」が上、最高順位は、「天使のくちびる」の上)
夏の勝負曲で「十七の夏」と「夏ひらく青春」で、差がつきました。
十七の夏は、40万、売り上げて2位になりましたから。
「十七の夏」は、いい曲でしたね、、、「夏ひらく青春」は、インパクトはありましたが、今ひとつでした。
「夏ひらく青春」が1年前の「ひと夏の経験」であれば、もっと差がつまっていたでしょう。

その前の曲の「ひとり歩き」でも「湖の決心」をリードしていました。
「ひとり歩き」は、映画の主題歌でしたので、「湖の決心」を上回りました。

1975年の淳子さんと百恵さんレコードセールス的には、わずかな違いなのです。

1975年の日本歌謡大賞、放送音楽賞は、下記の6人です。(例年5人のようですが、)

シクラメンのかほり/布施明
千曲川/五木ひろし
時の過ぎゆくままに/沢田研二
ともしび/八代亜紀
天使のくちびる/桜田淳子
私鉄沿線/野口五郎

大御所に交じって、桜田淳子さん、野口五郎さんが、賞を取っています。
野口五郎さんは、賞関係(レコード大賞、歌謡大賞)では、1973年、1974年と西城秀樹さんの方が取り、悔しい思いをしてきました。1975年は、野口五郎さんが取り、西城秀樹さんが落ちました。ですので、男性アイドルでも枠はひとつしかありません。
バランス的に、女性アイドルの枠も1人しかなく、淳子さんが取り、百恵さんは、落ちました。
それくらい、厳しいのです。
日本歌謡大賞の放送音楽賞やレコード大賞の歌唱賞と大衆賞は、年に5人から6人なので非常に厳しかったです。
ですので、1975年の桜田淳子さんの日本歌謡大賞 放送音楽賞とレコード大賞 大衆賞獲得は、アイドルとしては、すごいことです。
1978年からレコード大賞は、5人の歌唱賞を廃止し、10人の金賞にして枠を広げています。


2つ目
★★★日本歌謡大賞放送音楽賞受賞で淳子さんの涙の真実


放送音楽賞での涙の真実を書きます。
日本歌謡大賞の放送音楽賞を「天使のくちびる」で獲った時
淳子さんは涙ながらに百恵ちゃんといっしょに、、、と言ったのは、
「百恵ちゃんといっしょに」と言ったのは、日本歌謡大賞の放送音楽賞で「天使のくちびる」の歌を披露したときでは、ありません
。"百恵ちゃんといっしょに"は、いろいろなところに書かれていますが本当の事実を書きます。

11/24の中野サンプラザで日本歌謡大賞が決定する前の11/4の日本歌謡大賞のノミネート歌手発表会場。その記者会見で日本歌謡大賞の放送音楽賞のノミネートの心境を聞かれて、
「本当にうれしく思います。とっても複雑な気持ちです。本番24日に百恵ちゃんといっしょに歌えなく
とっても残念です」と言って涙を流しました。これは、淳子さんの肉声ですので、間違えありません。(紅白歌のベストテンで紹介されました)
よく週刊誌の活字では、この言葉は、少し違って書かれることもあります。
この記者会見が、後に物議をかもすのです。

下記は、記者会見で涙を流す淳子さんです。

日本歌謡大賞.jpg

この雑誌には、”私、百恵ちゃんといっしょに歌いたかったの”と書いてありますが、これも少し違いますね、、、
本当は、「本当にうれしく思います。とっても複雑な気持ちです。本番24日に百恵ちゃんといっしょに歌えなくとっても残念です」が正解です。

この涙の真実を紹介します。

1975年12月の紅白歌のベストテンで、桜田淳子さんが”ウソ発見器”で日本歌謡大賞の放送音楽賞での
涙の真相”を語っています。その時の番組の”ウソ発見器”コーナーから紹介します。

"あの涙は演技”と言われていることの質問に対して、
淳子さんの答えは、「何を言われてもいい。正直に言おうと思っていました。泣いたことは、後悔していない、
百恵ちゃんとは、品川中学からいっしょで仲がいいです。でもまわりからは、ライバル同士と言われる。それが、悲しい。悔しい。百恵ちゃんは、いて安心するいい友達です。芸能界は、真の友達ができないところだと言われている。だけど、私には、百恵ちゃんと言う友達がいる。まわりで、いろいろ言われてショックだった。
わかってもらえないのかと悔しかった」と言っています。

これが、記者会見での涙の真実です。本当にいっしょに賞をとりたかったのですね、、、
これを聴いていると、自分も涙してしまいます。

また、百恵さんも11/24の日本歌謡大賞の当日、淳子さんに下記のメッセッジを残しています。

「淳ちゃん おめでとう。本当に良かったね。淳ちゃんに直接会って、この言葉を言えないのは、残念だけど、今日だけは、泣かないで歌ってね」

百恵さんの言葉、一部紹介します。



そして、淳子さん、本番の11/24の日本歌謡大賞では、歌う前に、高島さんから「頑張りましたね! テレビ見ていると思うから(百恵さんが)、みんな応援しているから」
と声をかけらました。

日本歌謡大賞3.jpg

【ここで問題です。】

【高島さんから「頑張りましたね! テレビ見ていると思うから(百恵さんが)、みんな応援しているから」という問いかけに対して、淳子さんは、何て答えたでしょうか?????わかる方いますか?】

百恵さんからのメッセージの「今日だけは、泣かないで歌ってね」を胸にひめて「天使のくちびる」を、涙をこらえて最後まで歌いきりました。感動物です。
もう皆さん、言われなくてもわかりますね、、
淳子さんと百恵さんは、本当に仲がいい友達でした。

これが、日本歌謡大賞での涙の真実です。

日本歌謡大賞のエピソードでしたが、昔は、日本歌謡大賞、レコード大賞が楽しみでした。
30日に今年もレコード大賞がありますが、あまり、興味がありません。今年もAKB48???


ちなみに1975年のレコード大賞は、
歌唱賞
シクラメンのかほり/布施明
千曲川/五木ひろし
私鉄沿線/野口五郎
人恋しくて/南沙織
花車/小柳ルミ子
の中から布施明さんの「シクラメンのかほり」がとり、まあ順当でしたね、、、


あと1975年の淳子さんは、下記で紹介しています。

あこがれ共同隊
http://majun.blog.so-net.ne.jp/2009-03-04

となりのとなり(16歳の淳子さん)
http://majun.blog.so-net.ne.jp/2010-10-23

・スプーン一杯の幸せ(その一)
http://majun.blog.so-net.ne.jp/2011-08-05

花の高2トリオ 初恋時代
http://majun.blog.so-net.ne.jp/2010-10-01

男はつらいよの17才のブレザーの淳子さん
http://majun.blog.so-net.ne.jp/2010-11-05

1975年は、下記でも淳子さん涙しています。

涙の淳子さん(紅白歌のベストテンでの事件と明星か平凡からの淳子さん)
http://majun.blog.so-net.ne.jp/2011-10-21

上記を見ると、
1975年の桜田淳子さん、歌だけでなく、映画にドラマに大活躍でした。
1975年の淳子さん最高です!!!!!!!一番好きです!!!!!!!!!
自分は、1975年は、淳子さんに夢中で、映画やテレビ番組を見て、コンサートへ行き、淳子さんの本、雑誌を買いました。テレビは、自分の部屋にないので、すべて見ることは、できませんしたが、淳子さんの出演するラジオ番組は、必ずタイマーで、録音して聞いていました。
皆さんの1975年は、どうでしたか?

今回の記事は、ビデオテープ(日本歌謡大賞放送音楽賞の天使のくちびる、レコード大賞大衆賞の十七の夏)、カセットテープ(百恵さんなど)、雑誌(淳子さん)さくらんぼ(淳子さん各賞)、PC(歌謡選抜)とあらゆるところからのデータを使いました。
また、この記事は、10月から構想し、2日間かけて書きましたので、皆さんのご意見をいただければと思っています。

最後に、今年の更新は、この記事が最後になります。
今年も大変お世話になりました。
コメントをいただいた方、ありがとうございました。
皆様のお蔭でなんとか更新してこれました。
皆様、よいお年をお迎えください。

P.S.

1973年の淳子さんと1974年の淳子さんは、以前、下記で紹介しました。

・1974年の桜田淳子さん
1974年の淳子さん(TVガイドの記事)と1974年レコード大賞
http://majun.blog.so-net.ne.jp/2011-12-30

・1973年の桜田淳子さん
1973年の日本レコード大賞の新人賞
http://majun.blog.so-net.ne.jp/2010-12-30

あと、桜えびさんが紹介してくれましたように、「アサヒ芸能」に淳子さんの話題が載っています。
サーフサイド6さんがおっしゃるように、淳子さんの評価が上がる記事なので、まだ見ていない方は、購入または立ち読みでもして、見ていただければと思います。
自分は、買いましたよ、、、、詳細には、触れませんが、特に目新しい事は、ありません。


1974年の淳子さん(TVガイドの記事)と1974年レコード大賞 [桜田淳子 各年度総括と音楽賞]

1973年の淳子さんは、新人賞を総なめにしてきましたが、
1974年の淳子さんは、賞関係をとることは、できませんでした。
反対に百恵さんは、1974年は、1973年のくやしさをばねに、日本歌謡大賞放送音楽賞、レコード大賞大衆賞と大活躍でした。
ただ、淳子さんと百恵さんのレコード売上の差は、わずかですが、このわずかな違いが、天国と地獄の差に表れてしまいます。

下記は、百恵さんのレコード大賞大衆賞と日本歌謡大賞放送音楽賞のシーンです。
百恵大衆賞.jpg
日本歌謡大賞ひと夏の経験.jpg

1974年の賞の対象になる
前年11月からその年の10月までに発売された新譜を淳子さんと百恵さん比較しました。

1974年の淳子さん
花物語 1973.11.5 オリコン9位 
三色すみれ 1974.2.25 オリコン10位  
黄色いリボン 1974.5.25 オリコン10位  
花占い 1974.8.25 オリコン 9位

1974年の百恵さん
禁じられた遊び 1973.11.21 オリコン12位
春風のいたずら 1974.3.01 オリコン11位
ひと夏の経験  1974.6.01 オリコン3位
ちっぽけな感傷 1974.9.01 オリコン3位

これを見ると、淳子さんと百恵さんの差は、わずかで、淳子さんは、コンスタントに9位、10位で花物語、三色すみれでは、禁じられた遊び、春風のいたずらを上回っている。
ただ、百恵さんは、ひと夏の経験での3位でのヒットが大きく、この曲で賞を受賞している。わずかな違いで、賞をもらえるか、もらえないかになっています。

ここで1974年の淳子さんを総括するTVガイドの記事”桜田淳子が泣いて笑った48時間”を紹介します。
TVガイドレコ大紅白1.jpg
TVガイドレコ大紅白3.jpg
TVガイドレコ大紅白4.jpg
TVガイドレコ大紅白2.jpg

記事には、
”レコード大衆賞当確かと言われた桜田淳子が落ちた。ライバル山口百恵が、晴れの舞台に立っている時、淳子は、会場に背を向けて去った”とあります。
日本レコード大賞のノミネーション(11月19日)に淳子さんは、前年度最優秀新人賞受賞者として出演をし、大衆賞や歌唱賞にノミネートにスタンバイしていましたが、大衆賞や歌唱賞に名前を呼ばれることはなかったと書いてあります。
このとき、淳子さんは、大衆賞を取れなかったが、泣いている新人たちをサポートしました。
この時のシーンが、”お茶の間では、ほのぼのしたものを感じた、感激した”と書いてありました。

最後に1974年のレコード大賞新人賞は、
「恋はダンダン」浅野ゆう子
「太陽の日曜日」荒川 務
「イルカにのった少年」城みちる 
「空港」テレサ・テン
「あなたにあげる」西川峰子
「逃避行」麻生よう子

で6人が取りました。前年度も次年度は、新人賞は5人で、厳しかったのに、1974年はなぜか6人。
どこから、圧力がかかったのでしょうか?
その中では、最優秀新人賞は、歌唱力があり、正統派歌謡曲の麻生よう子さんの「逃避行」が取りました。

P.S.
”名歌手たちの名勝負名対決”で淳子さん、少し映っていた気がします。

1973年の第15回日本レコード大賞の新人賞 [桜田淳子 各年度総括と音楽賞]

1年の締めくくりは、日本レコード大賞です。(紅白もありますが)
昔は31日でしたが、このごろは30日に放送されます。
最近は、あまり関心がないですが、1970年代は、一番楽しみにしていた番組でした。
レコード大賞の新人賞と言えば、やはり1973年が一番印象があります。

1973年の第15回レコード大賞の新人賞は、下記の5人でした。
赤い風船(オリコン1位)の浅田美代子さん(芸映プロダクション)
浅田美代子.jpg

涙の太陽(オリコン16位)の安西マリアさん(竹野エージェンシー)
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わたしの青い鳥(オリコン18位)の桜田淳子さん(サンミュージック)
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コーヒーショップで(オリコン9位)のあべ静江さん(渡辺プロダクション)
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草原の輝き(オリコン2位)のアグネスチャンさん(渡辺プロダクション)
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演歌歌手がいなく、また、渡辺プロダクションがさすがで、2枠を確保していました。
山口百恵さんの青い果実は、オリコン9位でしたが、やはり他局の日本テレビのスタ誕生出身の歌手で2枠は、厳しかったのか、または、事務所の力関係か、落選しています。
それほど、1973年の新人賞は、レベルが高く、誰が最優秀新人賞を取るのか当時は、非常にわくわくして見ていました。
すでに、このとき日本歌謡大賞では、放送音楽新人賞としてアグネスチャンさんと桜田淳子さんが獲得していましが、(この年の日本歌謡大賞は日本テレビが主催でした。)
レコード大賞最優秀新人賞は誰が取るか、予想がつきませんでした。
また、わくわくして、観ていました。

TBSが放送するレコード大賞最優秀新人賞は、
赤い風船(新人歌手では一番売れたレコード)の大ヒット(オリコン1位)やひとりっ子甘えっ子(オリコン10位)という点とTBSドラマに出演していた浅田美代子さんやひなげしの花(オリコン5位)や草原の輝き(オリコン2位)をヒットさせたアグネスチャンさんやコーヒーショップで(オリコン9位)とみずいろの手紙(オリコン7位)のあべ静江さんも有力でした。

桜田淳子さんが、正統派アイドル歌手で将来トップアイドル(歌手)になるということなど評価されてレコード大賞最優秀新人賞を獲りました。

桜田淳子の所属するサンミュージックは創業4年の新興プロダクションでしたが
それが最大勢力のナベプロ(渡辺プロダクション)に勝ったというのもすごいことです。(2021年12月30日追記)

受賞場面での、涙しながらも、はつらつとした淳子さんが非常に印象的でした。
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1972年の最優秀新人賞の麻丘めぐみさんといっしょの淳子さんです。
(麻丘めぐみさんは渡辺プロダクションでした。)
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レコード大賞は、1969年から必ず見ていました。今でも存続していることは、すごいことで、最近は、あまりよく見ていませんが、視聴率が落ちていてもずっと続けて欲しいですね。
レコード大賞を辞退する人がいたり、当時は、軽く考えていましたが今から考えると歌手人生を左右する非常に権威ある賞でした。

2009年4月から始めたこのブログ、2009年は、更新があまりできなかったですが、
今年(2010年)の一年間は、頑張って、ブログを1週間に1回更新してきました。
その間、皆様からコメントをいただきありがとうございました。
今後も良き1970年代(1980年代も)を思い出しながら、しばらくは続けていきます。
(今後、いまいちのネタもお許しください)
来年もよろしくお願いします。


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